Croatia

スプリット観光:聖ドムニウス大聖堂とジュピター神殿(洗礼室)の見どころ

聖ドムニウス大聖堂内部

スプリットを観光する上で外せないスポットの一つとも言えるのが、「聖ドムニウス大聖堂」と「洗礼室(ジュピター神殿)」。

約1,700年も前に建てられたこの2つの建物、一見すると何の変哲もない教会と洗礼室に見えるかもしれませんが、ユニークな歴史を辿って現在の姿へと進化を遂げています。

今回は、そんな聖ドムニウス大聖堂とジュピター神殿(洗礼室)が現在の姿に至るまでに辿った“ちょっと皮肉な”エピソードに加え、それぞれの施設を訪れた際に注目してほしい見どころを紹介します。

聖ドムニウス大聖堂と洗礼室(ジュピター神殿)の皮肉なエピソード

宮殿時代の霊廟とジュピター神殿

宮殿時代の霊廟(左の八角形の建物)とジュピター神殿(右の長方形の建物)

現在はキリスト教に関する「大聖堂」と「洗礼室」として知られている2つの建物ですが、本来大聖堂はディオクレティアヌス帝の「お墓(霊廟)」として、洗礼室はローマ神話の最高神であるジュピターを祀る「神殿」として建てられたものです。

ではなぜ、キリスト教の建物へと改築されてしまったのでしょうか。そこには、こんな背景があります。

自らを神の子と名乗り、皇帝崇拝を広めたディオクレティアヌス帝

元ローマ皇帝のディオクレティアヌス帝(スプリット)

元ローマ皇帝のディオクレティアヌス帝

下層農民の出身で、父親は奴隷の身分でもあったと言われているディオクレティアヌス帝。努力に努力を重ねることで皇帝の座へと上り詰めた彼は、その威厳を保つべく、自身の父親はローマ神話の最高神であるジュピターだと公言していたそうです。

そんな最高神ジュピターを父親に持つとすれば、ディオクレティアヌス帝はまさに「生きる神」。ジュピターの体現者であり、神様級の力を持つ皇帝であるとして自らを神格化し、皇帝崇拝を広めていったと言われています。

キリスト教を危険視していたディオクレティアヌス帝

そんなディオクレティアヌス帝が晩年もっとも警戒していたのが、キリスト教。彼がローマ帝国を統治していた時代は、多くのものに神様(精霊)が宿っていると信じていた「多神教」の時代。

そんな中で、イエス・キリストのみを信仰する「一神教」のキリスト教のことを、ディオクレティアヌス帝はあまりよく思っていませんでした。

というのも、キリスト教徒たちが信じているのはもちろんイエス・キリストのみ。その信仰心から、国の軍務を放棄したり、政治へ反発するといった行為が目立つようになってきたのです。

そんな「国の抑え」が効かなくなってきたキリスト教徒たちの行動に、ディオクレティアヌス帝の警戒心は高まるばかり。加えて、キリスト教徒たちが皇帝崇拝を認めていなかったという点も、彼がキリスト教を嫌う要因になったと言われています。

かつてない規模でキリスト教の大迫害を実施

聖ドムニウス大聖堂内部

数千人の殉教者を出したキリスト教大迫害

そこでディオクレティアヌス帝が出た暴挙が、303年に勅令を出し、かつてない規模で行ったキリスト教徒の大迫害。キリスト教徒には有無を言わさずに改宗を強要し、聖職者は全員逮捕・投獄、聖書は焼却し、キリスト教の教会は破壊、教会が保有していた財産もすべて没収するという傍若無人ぶり。

また国に対して反抗したキリスト教徒たちは容赦なく処刑し、その殉教者はローマ全土で数千人を超えたといわれています。まさに、キリスト教史に残る大迫害です。

ディオクレティアヌス帝の死後、キリスト教徒が大逆襲を開始

聖ドムニウス大聖堂内部

神聖な空気が流れる現在の聖ドムニウス大聖堂

歴史に残る屈辱的な大迫害を受けたキリスト教徒たち。その怒りは数百年経っても収まることはなく、遂に7世紀、ディオクレティアヌス帝への大逆襲を開始します。それは311年のディオクレティアヌス帝の死後、約300年も後の出来事でした。

キリスト教徒によるディオクレティアヌス帝への報復のターゲトの1つとなったのが、今回紹介するディオクレティアヌス帝の遺体が保管されていた霊廟(現:聖ドムニウス大聖堂)と、彼が父親と公言していたジュピターを祀る神殿(現:洗礼室)です。

聖ドムニウス大聖堂内部

キリスト教迫害によって殉教した司教・ドムニウスが埋葬されている聖堂内部

まずキリスト教徒たちは、霊廟の中心に飾られていたディオクレティアヌス帝の遺体が入った石棺を破壊。霊廟内にかつての大迫害で殉教した司教「ドムニウス(スプリットの街を創ったと言われているサロナ人にとっての、最初のキリスト教司教)」の遺体を移し、スプリットの聖人として崇拝するようになりました。

ちなみにこの時、ディオクレティアヌス帝の遺体がどこに持ち運ばれたのかは、現在も謎に包まれたままとなっています。

洗礼室(ジュピター神殿)

洗礼室へと改築された旧ジュピター神殿の入り口

同時に、霊廟だった建物を司教ドムニウスに捧げる「聖ドムニウス大聖堂」と改名。これが、現在の聖ドムニウス大聖堂の始まりです。またジュピター神殿も霊廟と同様に破壊され、キリスト教徒の洗礼を行う「洗礼室」へと改築・改名されました。

キリスト教を排除した皇帝がキリスト教に制される結末

聖ドムニウス大聖堂の入り口

聖ドムニウス大聖堂の入り口

キリスト教徒を警戒し、かつてない規模での大迫害を行ったディオクレティアヌス帝。そんな彼が最終的に行き着いたのは、かつて迫害したキリスト教徒によって終の住処を奪われるという皮肉な結末。

歴代ローマ皇帝の中でも、その優れた政治手腕から一目おかれていたディオクレティアヌス帝ですが、彼は一体今どこで、何を思っているのでしょうか。

さて、 2つの建物にまつわるエピソードを頭にインプットしたところで、「聖ドムニウス大聖堂」と「洗礼室」それぞれのスポットの見どころを見ていきましょう。

聖ドムニウス大聖堂:10の見どころ

鐘楼の横にある八角形の形をした建物が聖ドミニウス大聖堂

鐘楼の横にある八角形の形をした建物が聖ドミニウス大聖堂

聖ドムニウス大聖堂は、スプリット旧市街の中心地「ぺリスティル広場」に隣接しています。八角形にデザインされたロマネスク様式の建物が特徴的で、この姿は約1,700年前に建てられた当時の姿のままだと言われています。

また八角形の建物を囲んでいる28本の柱にもご注目。これらはディオクレティアヌス帝がエジプト遠征から持ち帰ってきたと言われているもので、ほぼ完璧に近い状態で、当時のままの姿で保存されています。

スプリット・聖ドムニウス大聖堂

八角形の建物を囲んでいる28本の柱は霊廟として使用されていた当時のまま

外観はシンプル、かつ「大聖堂」という割にはこじんまりとしたサイズの聖ドミニウス大聖堂ですが、一歩内部へ足を踏み入れた途端、外の姿からはかけ離れた豪華で荘厳な世界が広がっています。

ロマネスク、バロック、ゴシックと、異なる様式で造られた祭壇、説教壇、装飾品が所狭しと並び、これらの中には「傑作」と世界から称されているものも含まれています。それでは以下より、聖ドムニウス大聖堂の10の見どころについて紹介します。

1.入り口の扉

聖ドムニウス大聖堂の扉:1つの扉に14場面掘られている

1つの扉に14場面彫られている

大聖堂の内部へと足を踏み入れる前に、まずはじっくりと入り口の扉に注目してみてください。1214年、くるみの木の上にのせたオーク材(樫の木)を削り取ることで造られたこの彫刻扉には、受胎告知から昇天に至るまで、新約聖書に書かれているイエス・キリストの生涯が28場面に分けられて彫られています。

この扉を手がけたのは、クロアチア・スプリット出身の芸術家アンドリア・ブヴィナ(Andrea Buvina)という人物。その繊細で巧みな技術から、聖ドムニウス大聖堂入り口のこの扉は「ロマネスク様式彫刻の傑作」と評されています。

2.大聖堂の天井

聖ドムニウス大聖堂の天井

無装飾でさっぱりとしている天井

高さ21メートルの位置にある聖ドムニウス大聖堂の天井。ディオクレティアヌス帝の霊廟が建てられた際に使用されたレンガが、当時のままの姿で残されています。

現在は白地となっているこの天井ですが、16世紀までは煌びやかで豪華なモザイク画で装飾されていたといいます。ですがその美しかったモザイクはすべて、大聖堂へと改築していく過程で取り除かれしまっています。

3.ディオクレティアヌス帝とその妻の浮き彫り(レリーフ)

聖ドムニウス大聖堂の天井

柱の最上部付近の装飾は霊廟時代当時のまま

大聖堂内部には“エレガントさ”が特徴のコリント式の柱が8本、八角形の建物の形に沿うように並んでいますが、注目してほしいのは、その柱の最上部付近に施されている浮き彫りの装飾。

聖ドムニウス大聖堂のディオクレティアヌス帝

メダリオン(丸で囲われている箇所)の中の人物にご注目

天使の姿をした男の子たちが狩猟をしている様子が描かれていますが、その狩猟の流れを止めるようにして配置されている「メダリオン」は超特別級(主祭壇の上にある高窓を正面に見て、左右の壁に配置されています)。

なぜなら、このメダリオンの中に描かれている人物はディオクレティアヌス帝で、その右側にいるのが妻プリスカであると言われているからです。

先の天井のモザイク画など、霊廟を大聖堂へと改築していく過程において、ディオクレティアヌス帝を思わせるものはほとんど取り除かれてしまった大聖堂。そんな中で残されたこの皇帝のレリーフは、かつて霊廟として使われていた当時の名残を感じるとともに、数少ないディオクレティアヌス帝の肖像画の一つとしてとても貴重なものとされています。

4.主祭壇

聖ドミニウス大聖堂・主祭壇上部の装飾

主祭壇天井に施されている豪華な装飾

聖堂内には4つの祭壇がありますが、最も煌びやかでひと際目立っているのが、1685年~1689年にかけて造られた正面にあるバロック式の主祭壇です。

目に見た通り、金色に光るその豪華な装飾が特徴的です。アーチ部分には12枚の小さな絵画が飾られ、これらもすべて金で縁どられています。

5.聖歌隊席

聖ドムニウス大聖堂聖歌隊席

聖歌隊席の精微な彫刻

主祭壇の後方部にあり、大聖堂の東側にあるのが、繊細で美しい彫刻が施されている木製聖歌隊席。13世紀前半に彫られ、その精微な彫刻が高く評価されています。

聖ドムニウス大聖堂東側

聖堂内に後付けされたスペース

この聖歌隊席、もともとは主祭壇の前に置かれていたそうなのですが「聖堂内があまりも狭すぎる」という理由から、聖歌隊席を移動するための聖堂内拡大計画が実施されたそうです。

その計画によって聖堂東側の壁が取り壊され、新たなスペースが追加。そして17世紀、この聖歌隊席は増築された東側の部屋へと移され、現在に至ります。

6.聖ストシャ(アナスタシア)の祭壇

聖ストシャの祭壇

聖堂内左側にある聖ストシャの祭壇

聖ドムニウス大聖堂内にある芸術品の中で、最も有名なものといえばこの「聖ストシャ(アナスタシア)の祭壇」で、クロアチアにある宗教美術品の中でも特に優れたものとして讃えられています。

この祭壇が造られたのは15世紀中盤の1448年。クロアチアで最も優れた彫刻・建築家と称されているユーライ・ダルマティナッツ(Juraj Dalmatinac 伊名:ジョルジオ・ダ・セベニコ Giorgio da Sebenico)によって造られました。

ドブロブニク観光・ミンチェッタ要塞

ドブロブニク旧市街の「ミンチェッタ要塞」

このユーライ・ダルマティナッツは、クロアチアにある数々の重要な建設物を手がけた人物として歴史に名を刻んでいる人物です。代表作としては、スプリットから約70キロ離れた場所にある街シベニクにあり、世界遺産にも登録されている「聖ヤコブ大聖堂」、観光地として人気が高いドブロブニク旧市街要塞のメインスポットとも言える「ミンチェッタ要塞」などがあげられます。

ちなみに聖ストシャ(アナスタシア)も、ディオクレティアヌス帝によるキリスト教大迫害で殉教したうちの一人です。ですがストシャ(アナスタシア)はドムニウスのような司教ではなく、町の染色職人として働く一般市民だったそうです。

聖ストシャ祭壇

大きな石が巻きつけらている聖ストシャ

さて、彼の祭壇で注目すべきポイントは、ロープで首に巻きつけられた大きな石(背中の下に確認できます)。これは彼が殉教した際の様子を表しているもので、ストシャ(アナスタシア)は、首に挽き臼(うす)をつけて川に投げ込まれたことによって殉教したと言われています。

聖ストシャ祭壇の見どころ

聖ストシャ祭壇で見逃せないポイント

そしてこの祭壇の中で最も素晴らしいと評価されている部分が、聖ストシャを支えている土台の中央に描かれた、キリストが罵倒されているシーンです。そしてここは、聖ストシャを埋葬している場所の扉にもなっています。

7.新:聖ドムニウスの祭壇(バロック様式)

聖ドムニウスの祭壇(新)

聖ドムニウスが埋葬されている祭壇

さて、聖ストシャの祭壇をじっくり見学した後は、聖ストシャの祭壇左側に隣接している「新:聖ドムニウスの祭壇」を見てみましょう。バロック様式のこの新:聖ドムニウス祭壇は、1770年にヴェネチアの彫刻家ジョバンニ・マリア・モルライテル(Giovanni Maria Morlaiter)によって造られました。

殉教者の美徳と言われている「信仰(左)」と「不変性(右)」を表す大きな2体の女性像に支えられながら、聖ドムニウスは現在この祭壇に眠っています。また祭壇上部には、聖ドムニウスが苦しみを受けている様子を鮮明に描いたレリーフが装飾されています。

8.旧:聖ドムニウスの祭壇(後期ゴシック様式)

旧聖ドムニウスの祭壇

聖堂内右側にある旧聖ドムニウスの祭壇

最後に紹介する4つ目の祭壇は、主祭壇を正面に見て右側にある「旧:聖ドムニウスの祭壇」です。1427年、後期ゴシック様式で造られたこの祭壇は、ミラノの彫刻家ボニーノ(Bonino)によって手がけられれました。

旧聖ドムニウスの祭壇

聖母マリアと4人の聖人たち

聖ドムニウスを支えている土台の中央に描かれているのは聖母マリアで、この部分はかつて聖ドムニウスが埋葬されていた場所の扉としても機能していました。

そして聖母マリアを囲んでいるのは聖人たちです。左から、首から石を下げている聖ストシャ(アナスタシア)、聖ドムニウス、ライオンと一緒の聖マルクス、鍵を持った聖ピエトロです。

9.ロマネスク様式の説教壇

聖ドムニウス大聖堂の説教壇

入ってすぐ左側に置かれている説教壇

大聖堂入り口に戻って、左側にある説教壇に注目してみてください。13世紀にロマネスク様式で制作されたこの説教壇は、異なる色の石で造られ、霊獣や葉や蛇がレースの様に絡まり合っているモチーフが特徴です。また上部に飾られている鷹は、キリスト教徒の使徒ヨハネのシンボルとなっています。

この説教壇は、スプリットに住んでいた優れた職人によって造られたと言われており、スプリットの公爵だったイヴァン・フランコパンと死別した妻コラフィス・フランコパンによって寄贈されたとされています。

10.ディオクレティアヌス帝の霊廟時代だった頃の床モザイク

聖ドムニウス大聖堂内部

ディオクレティアヌス帝の霊廟だった頃のフロア

最後に注目していただきたいのが、ディオクレティアヌス帝の霊廟時代だった頃の床です。

入り口から入って少し右側にある床を見てみると、一部分だけ窓がつけられているのを確認することができます。その窓を覗くと見えるのが、霊廟時代の床。元々の床は現在よりも17センチ低い場所にあり、一面がモザイク装飾で覆われていたそうです。

以上、聖ドムニウス大聖堂の見どころを紹介しました。続いて、洗礼室の見どころについて紹介していきます。

洗礼室(ジュピター神殿):5つの見どころ

洗礼室(ジュピター神殿)外観

洗礼室(ジュピター神殿)外観

聖ドムニウス大聖堂を背にし、スプリット旧市街の中心地「ぺリスティル広場」の西側に見える少し細い道を進むと、洗礼室(ジュピター神殿)にたどり着きます。

この洗礼室(ジュピター神殿)が建てられたのは295年から305年にかけてのこと。ディオクレティアヌス宮殿建築の一環として建てられました。冒頭で説明した通り、元々はディオクレティアヌス帝が自らの父と称していたローマ神話の最高神ジュピターを祀った「神殿」として建てられたものです。

スプリットの観光情報を見ていると、「洗礼室」や「ジュピター神殿」とその呼ばれ方は特に統一されていませんが、2つとも同じ建物。現:洗礼室、旧:ジュピター神殿となっています。そんな洗礼室(ジュピター神殿)の見どころを見ていきましょう。

1.天井の装飾

洗礼室(ジュピター神殿)の天井

半円状の天井

比較的簡素な入り口のドアをくぐった後は、まず視線を上に上げてみてください。精細な浮き彫り装飾で天井一面が埋め尽くされているのを確認することができます。この豪華なレリーフは、この建物がジュピター神殿だった当時の装飾です。

洗礼室(ジュピター神殿)の天井

様々な人物が描かれている

さらによく見てみると、正方形の中心に描かれている人物がそれぞれ異なる表情をしていることが分かります。これらの正体は、ローマ神話に出てくるヴィクトリア、ヘラクレス、ユピテル(ジュピター)、アポロなどの英雄や神々たち。1つ1つの表情をじっくり見比べてみるのも、洗礼室見学の楽しみの1つです。

2.洗礼盤

洗礼室の洗礼盤

洗礼室の中央に置かれた洗礼盤

洗礼室の中央に置かれているのが、洗礼盤。洗礼盤とは、洗礼の儀式を行う際に欠かせないアイテムで、儀式の際に使用する聖水を入れるためのものです。

また昔の儀式では、洗礼を行う際には「全身を聖水にくぐらせる」という方法が取られていたため、ここに置かれている洗礼盤も大人が一人入れるほどの大きさになっています。

ちなみにこの洗礼盤の正面に彫られている人物は、クロアチア王国の国王(クルシェミル4世又はズヴォニミル王)であると言われており、ヨーロッパで初めて石に彫刻された王様としても知られています。

3.聖人ヨハネ(洗礼者ヨハネ)の銅像

聖人ヨハネの銅像(洗礼室・ジュピター神殿内)

聖人ヨハネの銅像

天井に続き、洗礼室のメインの見どころとも言えるのが、この聖人ヨハネの銅像です。聖人ヨハネとは、キリスト教において最大の預言者とされている人で、イエス・キリストの誕生を予言したと言われています。また洗礼者ヨハネとも呼ばれており、キリスト教への洗礼活動を熱心に行っていた人としても有名です。

そんな人なので、洗礼室に聖人ヨハネ(洗礼者ヨハネ)の像が置かれているのもごもっともなのです。またヨハネの左手にも注目してみてください。聖水を入れるための洗礼盤を手にしているのが確認できます。

グルグール・ニンスキの像

グルグール・ニンスキ像

ちなみにこの聖人ヨハネの銅像を手がけたのは、クロアチアの有名な彫刻家イヴァン・メシュトロヴィッチという方です。彼は、スプリットのパワースポット「グルグール・ニンスキの像」を造った人でもあります。

4.2つの石棺

洗礼室(ジュピター神殿)内部

角に置かれた2つの石棺

聖人ヨハネの像を挟むようにして、2つの石棺が置かれています。この中には、スプリットの2人の大司教が埋葬されており、左が初代大司教を務めたと言われているイヴァン・ラヴェンニャ(Ivan of Ravenna)、右側がクロアチア王国時代の11世紀にスプリット教会の大司教であった「ロヴレ( Lovre)」のものです。

5.頭のないスフィンクス

洗礼室の前に置かれたスフィンクス

守り番のように置かれているスフィンクス

洗礼室(ジュピター神殿)をガードしているかのように置かれている、頭のないスフィンクス。これはディオクレティアヌス帝がエジプト遠征から持ち帰ってきた12体のスフィンクスのうちの1つで、何と紀元前1,500年(約3,500年前)のものと言われています。

このスフィンクスに頭がないのは、「キリスト教にはふさわしくない」ことを理由にキリスト教徒たちの手によって切り落とされてしまったからです。同様の理由で、ディオクレティアヌス帝によってエジプトから持ち運ばれた12体のスフィンクスのうち、11体のスフィンクスの頭はすべて切り落とされています。

スプリット旧市街のスフィンクス

唯一完璧な姿で残っているスフィンクス

でもたった1体だけ、完璧な姿のままで現在まで残っているスフィンクスが存在しています。その奇跡のスフィンクスについてはスプリット観光の記事で紹介していますので、こちらも良かったら見てみてください。

>>スプリット観光(ディオクレティアヌス宮殿)の必見スポット11・観光がぐっと面白くなる小ネタ付きでご紹介

スプリット観光のハイライトとも言える2つの建物を堪能しよう

スプリットの街並み

スプリットの街並み

かつてのディオクレティアヌス宮殿の中で最も見応えがあるスポットとも言える「聖ドムニウス大聖堂」と「洗礼室」。それぞれの背景に潜むディオクレティアヌス帝とキリスト教徒たちの長い歴史を感じながら、その細部まで、じっくりと楽しんでくださいね。

【関連記事】
3時間で充実の観光!スプリット観光時の必見スポット11選択

\リアルタイム更新中♪/
ブログには書かないような小ネタを、リアルタイムでインスタにアップしています。こちらもよかったら、覗いてみてください:)
どんな小ネタなもんか覗いてみる


\最後にボタンをぽちっ♪/
にほんブログ村 旅行ブログ 女一人旅へ
にほんブログ村
ぽちした貴重な3秒をありがとうございます:)

スポンサーリンク

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • LINEで送る

コメントを残す

*