映画『孤独のススメ』で人生学/演奏は難しくない。正しい鍵盤を正しいときに叩けばいい
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映画『孤独のススメ』で人生学
「演奏は難しくない。正しい鍵盤を正しいときに叩けばいい。-バッハ」
映画の冒頭で出てきたバッハの言葉で、とても印象的な言葉。
生きることは、難しくなんてない。しかるべき時がきたら、自分の気持ちに正直に「心が○と頷ける選択」をすれば良い。シンプルに生きれば良いんだ。そんなメッセージを感じた作品。
※以下、内容にネタバレを含みます
演奏は難しくない。正しい鍵盤を正しいときに叩けばいい?
前提として言っておきたいことは、バッハは天才である、ということ。そう、彼のように飛び抜けている人はきっと、生きていく上でくよくよすることはあまりないかもしれない。シンプルで真っ当な考えだけど、私のような凡人にそれを実践するのは難しい。
シンプルに生きられるようになるには、自分が抱えている色々なものを解放していくプロセスを経なければいけないのだ。この映画の主人公フレッドのように。
でもその自分を解放する道へは、一人では辿り着くことはできない。必ず、誰かからの「気づき」というサポートが必要なのだ。この映画では、「過去も言葉もなくした何も持たない男」テオがフレッドを自身が抱える過去のしがらみからの解放へと導く役割を果たしている。
「気づき」があれば、人は変われる
逆に言うと「気付き」さえあれば、人はいつでも変われるチャンスがあるのだ。私も過去に似た経験をしたことがある。人生の深い迷い道に入り込んでしまい、濃い霧で前が見えなくなってしまった時、私には幸運にも「気付き」を与えてくれる人がいた。
自分がこだわっていたことなんて大したことなかったこと、世界は広いこと、そして生きることは美しいこと。そんな「気付き」をたくさん貰ったことで、生まれ変わったような気持ちになれた経験は、今でも私の軸となっている。
「気づき」は、やっぱり人からもらうのが一番だと思う
生きていく上での「気づき」は多くの本を読むことでも得ることができる。でもあくまで個人的な意見として思うのは、自分を解放するためには「人」にサポートしてもらうのが一番効き目があるということ。それは、本では得ることができない人間の体温を感じることができるから。
自分を閉ざし、何重にも蓋をして鉄のチェーンでぐるぐる巻きにしてしまった「シンプルな自分」を復活させるために、優しい人の体温=愛情の働きの効果は計り知れない。彼や彼女たちの深い愛情によって、分厚く被せられていた鎧がじゅわ〜っと溶かされていくような感覚だ。
それでいうと、この映画のテオはピュアで、シンプルで大切なものは何だったかを思い出させてくれる。危なっかしくて何をしでかすかわからないけれど、テオにはしたたかさがない。テオの行動は全て「自分の心がそうしたい」と言っていることに従っているだけなのだ。
テオがお手本「自分の心がそうしたい」に従ってシンプルに生きる方法
1.好きな人を喜ばせる
テオは、なぜかフレッドのことが大好き。だから「フレッドは何をしたら喜んでくれるんだろう」ということを常に自然に考えている気がする。だから子ども達のバースデーパーティでダンスだってするし、結婚だってする。
テオの身元がわかってフレッドがテオから離れようとした時も、「フレッドはきっと自分を必要としている」と(多分)思って、また自分の家を脱走してフレッドの元へと帰る。そう、テオの行動の裏には常に「フレッドを喜ばせたい」という意識が働いているのだと思う。
2.傷ついている人がいたら、優しくしてあげる
テオはフレッドのそれに気づいたように、傷ついている人に敏感だ。だから、教会で働くカンプスが持っている心の傷も見ないふりをすることはできない。
教会でフレッドとの結婚の誓いを立てた後、それを阻止しようと邪魔に入ったカンプスにも関わらず、彼の側を離れようとしなかったテオの「カンプスを放っておくことはできない」という力強い意思が宿った瞳が印象的だった。
3.「したい」と思ったときにアクションする
テオには行動を起こすにあたってリミッターがない。自分がこうしたいと思ったときには頭で考える前に体が勝手に動き出しているのだ。
その中でも特に、羊の真似をするシーンが大好き。私たちはどうしても、「したい」と思ったことよりも「それをするとどう思われるんだろう?」と周囲の反応を気にしがちだ。でも、シンプルに生きるためにそんな心のタガは必要ない。
誰かを傷つけないという前提は絶対として、自分がしたいことを、したいと思った時にすれば良いだけなのだ。
補足1:この映画もまた、ラストの一曲に心が震える
最近見た映画「エール!」でも、終盤のシーンで歌われた曲に心奪われたが、この「孤独のススメ」のラストで流れる「This is my life」も本当に素敵。
しがらみも、過去の過ちも、大切な人を傷つけてしまったことも、大好きな人と結ばれなかったことも「全部私の人生なんだ〜〜〜〜〜〜〜!」と言わんばかりに、声量たっぷり、力強くフレッドの息子ヨハンが歌い上げる。
そのシーンと曲がこちら。
ここで私、号泣。最後にフレッドが「ヨハン!」と言って立ち上がるシーンなんて、フレッドの「自分自身の解放」が達成されたような感じがして、もう、見ている側は多幸感に包まれるのだ。
これからヨハンはまたフレッドのあの家に帰ることができるんだ。良かったねフレッドーーーー!!となるのである。
補足2:原題「マッターホルン」の別名は「魔の山」、その意味は?
映画の原題で使用されており、劇中でもフレッドとテオが目指す山「マッターホルン」。スイスとイタリアの国境であるヴァリスアルプスに位置する岩山で、標高は4478メートルあるそうだ。
「魔の山」と呼ばれるのは、しばらく誰もマッターホルンの山頂に行き着くことができなかっただからだそう。「マッターホルンには悪魔が住んでいる」という逸話まであったというから、本当に危険な山なんだろう。
そんなあまり良い印象ではないマッターホルンがなぜ映画の原題に使用されているのか。個人的な推察は「自分を解放するのは、マッターホルンに登るくらいのパワーが必要だ」ということ。そう簡単に「自分の心に従った人生を生きる」ことなんてできない。
でも、登った先には最高のプレゼントが待っている。そんな意味が込められているのではなかろうか、なんて考えを巡らせるのも楽しい。
自分を解放するためには、洞察力が必要
自分の心が何を求めているのか、自分は何をすれば満たされるのか。シンプルに生きたい、でもシンプルでいるためには自分を解放しなければいけない。そんな葛藤を抱えながらも、行動を起こせば心が解放されていく。
すべてを受け止めて、「This is my Life!」と胸を張って言える人生にしよう。
【予告映像とあらすじ】
家族を失った孤独な男が手に入れたのは、しがらみを手放す力と新しい世界でした
オランダの田舎町、単調で振り子のような毎日を生きる男やもめのフレッド。人づきあいを避けひっそりと生活していた彼の元に、ある日突然、言葉も過去も持たない男テオが現れる。帰すべき家も分からず、やむなく始まった奇妙な共同生活だったが、ルールに縛られていたフレッドの日常がざわめき始め、いつしか鮮やかに色づいていく――。心のままに生きることは難しい、でも大切なものに気づかない人生ほどわびしいものはない。すべてを失くした男が、名前すら持たない男から学んだ幸せとは――?
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